自分の事は自分でする意識

今日は次女の学校お弁当がいる

ひと宮は朝早くからお仕事

週末は長女が朝から大会でお弁当

ひと宮は週末ドル魂で朝から忙しいにやり

それでも

朝お弁当を作るのは

ママの仕事ですか?

ママがいつもより早く起きて

(ほぼチンするおかずで済ます程度の)

お弁当を用意して

子供達を叩き起こし

帰ってきたらきたで

いつまでもキッチンの流しに

持ってこないお弁当箱を

「いい加減にしなさーい!顔

と怒鳴りながら持ってこさせる

(あるいは怒りながら探しに行く)

そんな生活が

求めていた理想の家庭像?

誰よりも朝早く起きて

出来たてほかほかの朝ごはんに

前夜から仕込んだおかずの入った

お弁当を用意して3色弁当

「いってらっしゃーい」

と、玄関の外まで出てお見送りする

そうね遠い目

そんなママになれたら素敵よねキラキラ

起きるのギリギリ

朝ごはんなんてどうせ誰も

食べてくれないじゃんと超簡素

お弁当のおかずはほぼチンオーブンレンジ

メイクもしてないし

パジャマのままだから

お部屋の中から

「いってらっしゃ~い変顔

現実はコレ矢印

勿論意識を持って取り組む事って

大事だと思う

そんなママになりたいと願うなら

努力はすべし!でしょう

でも、負担だと思っているのに

現実キャパオーバーな

家事と言う名の労働に

「助けて」

が言えない環境だとしたら

これって結構キツイ青ざめ汗

「ママがすべき事」

「ママがやるのが当たり前」

これが[世間一般の常識]だと

ママ自身が思い込んでいたら

きっと「助けて」って

言えてないんじゃないかな?

家族に「お前がちゃんとしないから」と

言われた時

「なんで私ばっかり!!!」

って怒りは出せても

「助けて」という単語は

出てこないんじゃないかな?

もしかしたら

ヘルプ要請の前に

「あんたがコレやりなさいよね!!」

って命令になってないかな?

(相手をコントロール)

本当にそれは絶対

ママがすべき事ですか?

その先に

明るい家族関係は想像できていますか?

今朝の我が家のキッチン

次女が自分のお弁当を作ってる…

と、思ったら

「ママも今日お仕事でお昼いるんでしょ?」

まーまーまーーびっくり!はっ!!

何という事でしょう??????

ひと宮のお弁当までかん2感動?????泣エクスクラメ-ション

長女も自分で朝用意して

大会に行きました

「ひと宮ちゃんとこのお子さんは

しっかりしてていいわねぇ」

「うちはなーーーんにもやらなくて」

そんな声も聞こえてきます

でもちょっと待って?

ひと宮だって苦手な事があるように

娘にだって困ったちゃんなとこはあって

でも、それを

「できて当たり前」

「やって当たり前」

そう決めつけないでいるだけ

できない事を

「できないから助けてほしい」

「できそうにないからごめんね」

そう、ちゃんと言っているだけ

「言ってもやってくれない」

そう感じる時は

やらせようと

コントロールした言い方になってないか

「やるべき事」と

自分に(又は相手に)

暗示をかけてしまっていないか

ちょっと考えてみる

自分自身がどうしたいかに

素直になり

どうしてもらったら助かるかを

洗い出し

そんな事を意識すると

出てくる言葉が違ってくるように

なった気がします顔

最初は誰でも

何をするにしても素人だけど

自分の事のためにするのなら

結果は自分だけの評価で済む

それを

繰り返し続けることが

「成長」になるわけで

自分の事は自分でできるように

なっていった先に

ゆくゆく+α

「誰かのために」

してあげられる人になる顔

そんな気がします顔?

「ママだから子供のために」

って自己暗示かけて苦しみ続けなくても

辛い時、辛いと言える

その勇気

自分自身を助け

本当の子育て

(子供が自分で

生きていける力をつける事)

に繋がると思っておりますほっこり

なんだか

今日はちょっと語っちゃったてへ

娘の自立を目のあたりにすると

とっても嬉しくて感動しちゃうね

そうすると

自然と「感謝の言葉」と

「ママも頑張るね!!」

の言葉が出て くるから

とってもいい循環イシシ?