完全に幽霊部員
いや、もはや名乗ってはいけないレベルですが
メンタルオーガナイザーとして
久しぶりにスキルアップ勉強会に
参加しました
空間整理で整えているのは「モノ」だけではない
空間を整理する時に欠かせないこと
それは
モノの整理だけでななく
気持ちの整理も同時に行っている。ということ
メンタルオーガナイザーは
願望・感情・見方を通して
自分自身(クライアント自身)の
今の気持ちと折り合いをつける方法を
引き出し、見つけながら
モノと心の片をつけていく。ということをしています
その
願望・感情・見方の中で
ひと宮が
この10年間最も苦戦し、意識してきたのが
【感情】でした
自分自身の感情をコントロール…以前に
その「感情」を言葉にするということを
10年前のひと宮は
ものすごく軽んじておりました
それが
ライフオーガナイザー
特にメンタルオーガナイザーの中では
若干伝説?となっているらしい
「“やばい”5段活用の女」事件
(全ての感情をやばいで表現していたのはこの私です)
↑過去にちゃんとブログを書いていた自分に感謝
はじめてメンタルを受けたのは
ちょうど10年前だったみたいです
その当時のひと宮の気付きは↓
感情はちゃんと相手に伝わる言語で伝えなきゃ
間違って受け取られることもある
関係を悪化させる原因のひとつになる
どうせ言っても伝わらない
ではなく
伝え方(言葉)を意識すれば
相手が受け入れるかは別として
自分の想いや感情をまずは
「伝える」ことができる
誤解が誤解を生む惨事から脱却できるかもしれない
その当時は
相手が変わらず自分だけが変わる事に
ものすごい抵抗と嫌悪感があったのですが
なんなら軽くトラウマもとい
幼稚だったことに気づかされた自分が恥ずかしくて
「今この湧き上がった感情」を言語化することを
この10年間かなり意識して
変わりたいと思い過ごしてきました
「やばい」の3文字だけで自分のあらゆる感情をまとめていたこと
そして相手への批判(対立意見)も
「あんた、それやばいね」で済ませていたこと
その代償はもしかしたら相当あって
自分が変わることに「価値がある」と思った出来事でした
どれだけ伝えるかじゃない。何をどう伝えるかが大切。
「伝え方」を工夫して(時には言葉だけじゃなく状況、態度なども駆使し)
相手が「納得できない」「理解できない」場合も
一旦受け止め(感情論で押し切らない)
次に発する言葉を慎重に
なぜこの感情(特に苛立ちや悲しみ)が湧いたのかを考えたうえで
(勢いでぶつけるその言葉は本当に伝えたいことなのか?)
自分の願い(伝えたいこと)を聞いてもらうには
どの言葉のチョイスが良いかを考える
上記は
夫婦間、親子間、クライアント、仕事関係、ありとあらゆる場面で
特に伝え方を間違えたら関係(状況)が悪化するかもという時に
ひと宮が頭の中で浮かべていることです
「どの言葉をつむごうか」と
思考の中の引き出しを開ける癖をつけたことで
勢いに任せて
相手が話す隙をあたえず
一方的にこちらの言い分をまくし立てる
ということをしなくなりました
(以前は沢山言いたいことを言った方が勝ちだと思っていた)
カッとなった時に
脳内の引き出しを開けていると
咄嗟に言葉が出ない
当初はそのことに物凄く困惑しました
だって次から次へと暴言も含め言葉を投げかけてきた
今までの私からしたら
黙る
と言う行為は
一番「何を考えているかわからない」行為で
「思ってることがあるなら早く言ってよ!」って
イラつかせる行為だったから
自分自身が言葉に詰まって(脳内引き出しを開けていることで)
黙ってしまうことに違和感しかなく
たまにわざと
絶対後で後悔するとわかっていながら
あえて喧嘩ごしに感情のままに
ただイラつきをぶつけまくってみる
なんてことも何度かしてみました^^;
以前の私なら一方的にぶつけて
相手が黙ったら勝った気になって
不機嫌な相手に対して、
こんなに伝えたのに理解の足りない奴だ
分からないならわかるまで話し合おうじゃないかって
強気で攻めていたのが
それでは気持ちが晴れていないことに
ハッとしたんですね
気持ちが晴れていないということは
根本的問題が解決していないということ
自分的にトライ&エラーを繰り返したことで
あ、相手が黙っていた時は相手も熟考していたんだ
自分の想いを相手に伝えるのは
文字数じゃない
お互いを尊重できる言葉選びが大切だったんだ
ということに、かなり時間がかかったけど
気付くことができました
見方を変えたら、煩わしいものが今の自分に必要な要素だった
私には幸い
考え方や価値感が大きく異なる旦那がいて
私と似ているようで似ていない娘達がいて
素性が知れないクライアント様との出会いがコンスタントにある環境下にいて
私とは違う【価値観】の人達を身近に観察できる機会に恵まれていたおかげで
これまでは、価値観の相違を
ただただ煩わしく思っていただけだったのが
見方を少し変えたことで
私とは違う表現をする人達の「私とは違う部分」を
「具体的に知る(言語を増やす)」ことができるようになりました
私には無くて、あなたには持っているもの集め。
とでも言いましょうか
おかげで
随分と発せる言葉のバリエーションが増えた気がします
感情はひとつだけじゃない
感情の言語化に限らず
知らない言葉は普段使えないわけで
逆を言えば、相手が使っている言葉は
話している本人は知っている言葉なわけで
なにを当たり前のことを
と思うかも知れないけれど
自分とは違う相手の感覚を
全否定して蓋をするのではなく
その裏の感情を言語化する癖をつけたことで
相手が伝えたい意図が随分理解しやすくなった気がします
そうなると、不思議な事に
私自身も話しはじめの文章に変化がおきてきました
言いたいことだけいう
↓
怪訝そうな顔をされたら
↓
反抗する
キレて言いくるめようとする
そんな今までの私から
怪訝そうな顔をする背景には
相手の心配・不安・寂しい・困る・楽しんでほしい・頑張ってほしい・理解したい・協力したい・言い合いをしたくない・疲労感など
怒りだけではない様々な感情がある事を知り
それを言語化できるようになったことにより
・相手を労う言葉
・相談があるけど今話していいかの確認
・伝えたいこと(願望)
・いつも感謝していること
・リスクヘッジの対応案
のように、丁寧に伝える意識をするようになりました
文字にするとビジネスシーンでのメール構成みたいですが
全くその通りで
身近な人ほど、基本的なことを
頭では思っているのに
すっとばして話しかけていたので
誤解したり、苛立たせてしまっていたんですよね
感情はひとつだけじゃない
自分の感情や相手の感情を具体化させることで
気にいらない、納得いかない部分はあったとしても
その背景には相手を気遣う想い、背中を押したい思いなど
様々な感情が入り乱れている事がわかると
相手の怒りすら「愛おしく」思えてくるようになる
怒りを嬉しいと思える日が来るなんて
不思議な現象であり尊い現象
それは
「やばい」だけの三文字で受け取っていたり、伝えていたら
汲み取れなかったこと
「やばい」とは「あはれなり」だった
今回のスキルアップ勉強会で聞いた話のひとつに
「やばい」とは「あはれなり」である
という話がありました
あはれなりとは
ポジティブであれネガティブであれ
感情が高ぶった時に使われていた言葉で
逆に、しみじみしたおもむきや
感慨深い~ってなときにも使える言葉
と、聞くと
まさしく「やばい」ですよね(笑)
心打たれる感動も
どうしようもない悲しさも
寂しさも
相手への同情も
可愛いも
愛おしいも
尊いも
ありがたいも
しみじみも
感情が高ぶれば全部「やばい」が当てはまる
そして思い返せば
心高ぶった時こそ
第一声で「やばいね!!!!」と叫んでいた気がする
そんな
やばい(あはれなり)を
封印して早10年
10年越しに
昔からある趣深い言葉だったことを知り
少し心救われてみたりしながら
あらためて「言葉」の意味を知るって面白いし
特に日本語は表現の幅が広いので
使わない、使えないのはもったいないなと思いました
日本語ってヤバいね(笑)←感慨深いの意
「好き」なモノ·コトへの熱量は「願望」であり「感謝」であった
やばいを封印して早10年
自分の語彙力の無さを痛感して早10年
あの当時、夢見ていたこと、願っていた生活
今はどうかと振り返る良い機会になった
今回のスキルアップ勉強会
「好き」を言語化する
そんなテーマだったのですが
あらためてひと宮の「好き」への熱量の高さ
自他ともに薄々(?)気付いてはいましたが
やはりものすごく高いことを再確認した次第なのですが
それと同時に
「好き」が溢れて止まらない
これってものすごく幸せな事だったということもわかりました
私は好き(なモノ・コト)で溢れている
「好き」が原動力となって日々生活ができているということは
願望が叶っているということ
メンタルオーガナイズセッションでも
最も大切にされていることのひとつ
「あなたはなぜ片づけたいのですか?」
この質問に皆さんならどう答えますか?
「片づけたいから片づける」のではなく
片づけた先に何がしたいか、どんな暮らしがしたいか
その願望を明確にして、叶えたいからこそ
片づける意味がうまれて
片づける順番が見えてくるんですよね
大好きな家族に囲まれて
大好き友達と推し活ができて
可愛くて大好きなリカちゃんという趣味もあって
大好きで大切な旦那と旅行にも行けて
大好きでやりがいのある仕事もできて
自分の時間をしっかり確保できて
こんなにも好きを満喫できている
そんな毎日が
感謝で詰まっている
10年前に願っていたこと
今全部本気で叶っている
毎日が良い事だけらけではないし
トラブルも凹む日もあるけれど
そんなことも含め
心折れないしなやかさと
頼れる人間関係と
落ち着かせるための余裕のある時間を確保できている
さて、この10年間
私は私の何を変えたいと思っていた?
あぁ。そうか。
語彙力を高めたい
「やばい」で片づけない
相手に伝わる言葉を意識して
本気で変わりたいと願って
10年走ってきたのでした
すごいね(←最近「やばい」のかわりに多様してる言葉w)
人は変わりたいと願い
自分が変われば
「好き」を増やせること
「好きなことができる生活」で満たされると
心の底から感謝ができること
ひと宮が10年前
あの当時は恥ずかしくて言葉にできず
こっそり願っていた
忖度無しで他人に感謝できる人間になりたい
この願望が叶いつつあるのかもしれない(笑)